2025.01.20~26。
まじでトランプが大統領にまた就任したな~という週。就任式とかは全く見ていない。

木原善彦(kihara yoshihiko): “地獄は今からっぽだ 悪魔はみんなこっちの世界に来ているからな ――シェイクスピア『テンペスト』(訳は僕の今の気分で、元の芝居の場面とは違う感じにしました)” — Bluesky
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読んだ本と雑誌

  • Bicycle Club Vol.460(2025年3月号)
  • ビッチな動物たち 雌の恐るべき性戦略

Bicycle Clubの最新号は特集が「街と自転車」で、自転車ショップなどの紹介と並び、日本の道路の自転車走行環境がヨーロッパと比べてシステムより個人の走行能力頼りのものになっているかっていう宮田浩介の記事が面白かった。

『ビッチな動物たち』を読了。
以前読んだ性淘汰で進化した鳥類の生態についての本、『美の進化』と同じく、人間以外の動物のセクシュアリティやジェンダーが実は二元的な雌雄の区別だけで成立しているわけではないという事実を通して、人間がいかに動物たちの行動を勝手に解釈して見てしまっているか、また男性中心主義的な価値観であったり男女の二元論的な性別のとらえ方なんてやはり別段自然なものではないんだよなという視点を改めて教えてくれるような本だった。
かといって、先々週に引用したミーアキャットの母系社会の例のような、ひたすらフェミニズムの正当性を強化してくれるような話ばかりでもないのが面白いんだけど。

何のめぐり合わせかトランプが「性別は男と女の2つのみ」なんて謎の大統領令に署名したタイミングで読めたのが良かったというかなんというか。

 本書ではダーウィンの硬直した二元論的ステレオタイプに抗う多くの雌たちに出会って来た。(…)
 これらの雌たちは、性が水晶玉でないと教えてくれる。それは静的でも決定論的でもなく、ほかのすべてがそうであるようにダイナミックで柔軟、ある環境における遺伝子の作用をもとに形づくられ、個体の発達と生活史、ちょっとした偶然をもとに輪郭ができあがっていくものだ。雄雌は異なる生物学的事象ではなく、同じ種の一員であり、生殖にまつわる段階では生物的そして生理学的プロセスにおいてある程度の差異がある、というくらいにとらえておくべきだろう。それを除けばほぼおなじなのだ。今はすでに、有害でありかつ率直にいえば妄想混じりの二項対立的前提を排除すべきときだろう。自然において雌という経験は、ジェンダーレスな連続性において存在するからだ。変化に富み、柔軟で、古色蒼然たる分類群に収まろうとはしない。その事実うぇお受け入れることで自然界への理解と、人としての互いへの共感も深まるだろう。古臭い性差に固執するのは女性と男性の両方に非現実的な期待を押しつけるのみで、両者の関係を貧しいものにし、性的な不平等を拡大するだけだ。
(ルーシー・クック, 『ビッチな動物たち 雌の恐るべき性戦略』, p370)

観た映画

  • エクソシスト ディレクターズカット版(副音声でムービートーク)

『敵』は面白かったです。老いそのものがずっとどこかで恐れがちなものであるのに加え、物語前半の主人公による日々をグリッドにはめて規則正しく先を見据えながら淡々と送っていくような暮らしぶりが、すでに今の自分が40代にしてちょっとやっているやつでは…みたいな感じもあったのが余計に怖く思えた。
さらにパンフレットのインタビューで主演の長塚京三が自分の演じた儀助の人生について、思いのほか辛辣な目線を向けていたのも印象的で、生き方というか日々の過ごし方について結構考えさせられる。
また、ラストの直前の白いぼんやりした光の揺らいでいるカットが美しく、映画が投影されている画面というよりも物質として現実にブリッジしてくるようでもあった気がする。

遊んだゲーム

  • LOK Digital

そろそろプレイ時間が15時間くらい、で、かなり終わりの方まできたはず。

3J

浜町のレコードコンビニにて。 みんな音楽に対してびっくりしなくなっているなっていう話だとか、澤田さんはNeputuneのグラスを使うでもなく家に保管してあること、刑さんがパートナーの実家で正月を過ごしたこと、カトーマサカーの本にまつわるあれこれ、ブートのナウシカTなど。

読んだ記事

聴いた音楽