ちょっと落ち着いてきた。2023年9月25日から10月1日まで。
40
大台ってのに突入していたが特に感慨もなし。適度の責任は負いつつやったりやらなかったりするだけ。
納品x2
色々あって9月末までで3件重なってた仕事の内の2件がまとめて片付いて一安心。
なんて、どれもコンポジットだし、なんならやったの1カットだけだったりもするので「やりました!」っていう感じでもない。
そのうち見れると思います。7日の夜のテレ東とか朝のNHKあたりで(まだ言っていいのか知らない)。
インボイス
仕事場に顔を出すなり、演出作品の納品を間近に控えたユージン君がやたらとため息ついてくるので「なんなの?」と問うたところ、インボイス反対運動に対するおそらく田端なんたらの「稼げるクリエイター云々」的な雑な煽りを素直に喰らった様子だったのでいつまで経っても素直だなと思った。
あんな、もはや伝統芸能的ですらある雑な断言調の煽りにいちいち憤ったりモヤついてしまうのは彼らのお客さんになるだけで、端的に時間の無駄なのでまともに取り合う必要はないし、いい加減Twitterなんか見るのやめたらいいじゃんよ、というような事を伝えたような気もするけど、例によってちゃんと伝わってるかは謎。
それはともかくインボイス。これについての自分の態度を表明するのはなかなか難しくて、制度自体は消費税というシステムがあり、その上軽減税率まで導入されてしまっている以上は、税制の公正さを考えたら必要なものだと思う一方、実際始まるとなると自分か取引先のどちらかが確実に損をするというか、今まで得ていた利益を得られなくなるという現象が確実に起きるものではあるので、「やらないならやらないでそれはまあ助かります…」くらいの小ずるい意識でいるとでも言いましょうか。
大きな声で反対する人の主張もわかるし、こんな物価が跳ね上がってるタイミングでアクセル踏む必要はないとも思うし、新制度での控除なり還付の仕組みをもっと考えてからでもいいのではとも思う。
とは言え、インボイスが始まったら収入激減して即死みたいな事が訴えられる時、問題の本質が果たして本当に税金周りなのかって言ったら、そもそもそんな状況にすぐ陥るような賃金しか払えてない業界のシステムの方が根本的な問題なんであって、国に対して運動を起こすのもいいけど、勤務先とか取引相手とかにもっと不満をぶちまけるなり交渉する必要だってあるのでは、とも思ってしまう。
自分の事は自分でやるから稼いだ金はとにかく手元に置いて公共に回すのだけは絶対ヤダ、みたいな税金を罰金にしか捉えられない態度は、根本的なところで、それこそ田端某みたいな人と同じ穴の狢のネオリベ仕草なんではないの? というのはちょっと訊きたい気がする。
というような事も交えてユージン君が落ち込んでいる理由を、その後仕事場に顔を出したよつもとさんと話したところ、ヨーロッパへの留学経験などが豊富な彼女も似たような感覚だったらしく、「結局それもこれも政府への信頼の有無なんですよね」っていうところに落ち着いた。
それもまあ決して国家や政府や国会議員に対して支払っているものなのではなくて、あくまでも自分たちが支え合う仕組みとしての公共のために支払っているっていう意識は、払えるか払えないかという話の前にもっと必要なんじゃないか。
某コーヒー屋が移転
まだ大っぴらにはしてないようなので名前は伏せるけど、以前ここでも書いた、値段が高いけどホスピタリティも高くて通ってしまうコーヒー屋に豆を買いに行って、焙煎中に軽く話していたら「年内でこの店舗は閉めて、まだ場所は決めてないが、ちょっと遠くに移転することになる」という話を打ち明けられてでややショック。
で「今考えてる移転先の土地柄を考えるとおそらくは若い人が多いので、今のようなあんまり値段も気にせず買う中高年が多い土地と同じような売り方ではまずかろう」というような事も考えているらしく、なんか話の流れでいろいろ相談というかアンケートのようなものを受けた。
ひとの商売の計画の話なのでこれも詳細は伏せるけど、コーヒーの売り方ってターゲットのリテラシーの想定とかがいろいろ難しそうなのかも。
その場ではあんまりうまい返答がまとまらず「うーんそうっすねえ」みたいな感じになってしまったんだけど、少し落ち着いて考えてみると、まだシングルオリジン的なコーヒーを自分で挽いて淹れて飲むような習慣がそこまでない人にとっては、まずは店で味について説明される時の言語にどんだけ客がすり合わせられるか、みたいな事が肝のような気がした。
mozilla.social
はじまったくさい。フロントエンドがElkベースだったり、いろいろやる気?を感じるがまだまだこれからな雰囲気。
引っ越し中
ネット回線の開通工事がまだしばらく先だったり、キッチン、洗面所周りの配管に厄介な詰まりがあるらしく完全移植までの道のりはまだ遠い。とりあえず本などをちんたら移動中。
本棚も机も椅子もまるっと新調する予定なのだが、どれを優先すべきなのか悩ましいけど、変に間をあけて買うよりも中途半端な出費が挟まってくる前に全部一気に行くのが正解な気がする。
Armored Core VI
チャプター3も終えてチャプター4まで来たのだけど、途中のボス、エンフォーサーにどん詰まり中。ちょっと気分的にだるくなってきたので攻略情報をチラ見するなど。
Cyberpunk2077 2.0 + Phantom Liberty
AC6で詰まされてしんどくなったので逃避的にDLCを買ってしまった。いろいろ変わってて新鮮味があってよいんだけど、グラフィック能力の要求が跳ね上がってる雰囲気で、アップデート前だったら120fpsくらい出てたはずのグラフィック設定でも激重でちょっとムムっとなった。特に通常のプレイ画面とインベントリを開いたり閉じたりする時のトランジションの時とかがやばめ。
ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!
やるのすら全然知らなかったんだけど、少し前にアフター6ジャンクションで多田遠志さんが紹介していていろいろ気になるポイントが多く、あえてそれ以上は絵的な部分の事前情報は頭に入れずに観に行ってみたらとても良かった。
大枠では『スパイダーバース』とか『アーケイン』みたいなアナログっぽさのあるブラシによるデジタルペイントと3D(モデルだったりレイヤー感だったり)を合わせたあの感じで、更に落書きのようなガサガサした線だとか、クレイのストップモーション的なキャラクターの質感など、もっとラフに感じるルックが印象的だった。おそらくタートルズのティーンやスケーターカルチャー感みたいなものを表現していそう。
デジタルな制作環境でどうにかアナログな絵の風合いに近づけるアナログもどきを作る、というのは自分もよくあるというかそういう仕事ばっかりな訳だが、時々作業していて「果たしてこれは何をしているんだろうか」という気持ちになったりならなかったりするんだよなあ…というような事を頭によぎらせながら、この『タートルズ』のような表現を観ていると、アナログな手段で作ったアニメーションに近づけるというよりは、アナログな要素をバンバン足して新しい表現を目指していて、なんとなくこっちの方が健全なように思えたりもする。
とは言え、じゃあ今作に画面として驚きがあるのかというと正直そこまででもなかったりする事を考えると、背景と人物やモチーフが乖離して見えてしまうようなデジタル的な立体感だったりレイヤー感だったり手持ちのカメラ感なんかは抑えるか無くしてしまって、もっと平面的な画面空間を目指す方が新鮮に映ったりするのかもと思ったりもした。
という技術的な話はさておき、タートルズの4人がかわいくてずっと愛おしく感じられるので、何は無くともそれだけで素晴らしいなと思った。
外部から来たものが新しくコミュニティに受け入れられるかどうかの不安だったり、起こりうる摩擦だったり、そこで絶望し断絶してしまう可能性とそこを乗り越えて手を取り合う道を探したいという素朴な希望などについて、過度に現実とリンクすることなく自然に読み取れるのもとても良かった。
なんとなく自分がジャンルとして大好きなアメリカ学園映画的なノリもあったりして、最後の方はちょっと泣いた。
新譜と新譜じゃないけどよかったやつ