2024/9/30~10/6。
完全無職みたいな過ごし方をしまくっている上に生活リズムも基本ズレ気味なので、何がなくとも規則的に仕事場に行くようにするとかどうにかしたい。

自転車、コーヒー、中華

特にそうしようと思っていた訳でもないのだが、やや久しぶりによく行くお店に行ってお店の人に相手をしてもらう時間が多かった。

Blue Lug には、今週販売が始まる MASH の AC-4 の展示車がもうあるようだったのでそれを見に。AC-4 のカラーリングは画像で見た時にはだいぶ派手で自分が乗るにはキマり過ぎてるかなと思っていたのだけど、色味や柄を直接見てみると結構かわいらしい雰囲気もあって良かった。

なんて思ってみたところで MASH のフレームって最小サイズでも自分が乗るにはちょっとでかいので、いくら良くても not for me だったりして悲しい。
というような事をAC-4を眺めつつ店の人と話してみたら、スタンドオーバーハイトがちょっと高すぎてもサドルハイトが問題なければ全然いけんくないのでは という助言を頂いて、幸か不幸か合うものが無いせいでなかなか本気の購買意欲にまでは至っていなかったトラックフレームのサイズ問題に光明が差すことに。となるとリアルな話として同じ MASH の Steel が欲しいかもしれない…。
その後、Crust の Romanceur の新しいカラーリングを見たり、クリントさんとポートランドで視察してきた Astral の工場の話などを聞かせてもらった。

舘田珈琲では焙煎の待ち時間に、少し余ってるからとかいうやたらざっくりした理由で100gあたり5000円するとか言うコスタリカ産アナエロビックの豆をハンドドリップで淹れてもらう。お店の人が言うにはアナエロってなんだかんだ言ってどれも似たような印象だけどこれは結構違うとのことで、飲んでみると確かに違っていておいしい。
流石に値段も値段なのでそんなに焙煎で買っていく客もあまりいない中、ひとりだけバンバン買ってく富豪がいるらしいと聞いて、その財力はすごいっすねとは思うものの、アナエロのコーヒーを日常的に常飲するのっていくらおいしくてもちょっとくどくないのだろうか。

そんなおいしいコーヒーをありがたく頂きながら、来週開催されるSCAJには行くのか尋ねてみたら、行くしなんなら招待状が余ってるからあげる と言われるがままに招待状を頂いてしまった。また良くない常連ムーブというか、全然そんなつもりじゃなかったんだけど、結果的におねだりしたみたいになってしまって恥ずかしい。気を付けるものでもないけどちょっと気を付けたい。とりあえずSCAJ には行きますが。

中華というのは、ここにも何度か名前を伏せて書いたことのある、ボンベイにいた三浦さんがやってる白金台にある中華料理専門のスナックで、1,2ヶ月ぶりくらいに行ってみた。カウンターに座って、世代が近い三浦さんとここでもロストテクノロジーの話になり、岩井俊二とかKIDSとか、ほとんど姉が通過していた文化ばっかりで笑う。

ちなみにここでよく飲むのはカルダモンの焼酎なんだけど、たまにはと思って他の酒もあれこれ教えてもらってよさげなものを頂いたのだけど、やっぱりカルダモンのが一番丁度良いなと思った。自宅でも飲みたい。

観た映画

ぼくが生きてる、ふたつの世界

ろうの両親とその間に生まれたコーダの主人公の成長を描いた、呉美保監督の9年ぶりの作品。

『そこのみにて光輝く』はとても良かった記憶があるので、期待して観に行ったらめちゃくちゃに泣かされてしまった。いや、障害をモチーフにした映画で泣いたなんて24時間テレビに感動してるのと大差ないようでいちいち書きたくはないのだけど、障害者である事を超えて母親として主人公を見守るあんな眼差しを見せられたら、少なくとも自分にとっては泣くなというのが難しい。

身も蓋もない言い方をしてしまえば「普遍的な親子の絆の話」ではあるんだけど、その為に障害の問題を矮小化したり舞台装置にしてしまうような事態に陥っていないのが素晴らしいと思う。ろうの人達が直面する苦労について扱ってはいても、その暮らしの中にあるネガティブな側面ばかりを取り上げて、ことさらつらい普通ではない人生として描くのでなく、どの人もこれも人生だからという風に障害と付き合って生きていこうとするようなポジティブな暮らしぶりを映していたからなんだろう。

主演の五十嵐大を演じていた吉沢亮さんは、おぼこい中学生からボンクラな20歳頃を経てまともな大人になる30歳くらいまで演じ分けていてそれもすごかった。同様に母親の明子を演じた忍足亜希子さんも同じ女性を長いスパンで演じて分けており、各時代ごとの髪や服装のスタイルの微妙な変化の重ね方がとても細かったのもやはりすごいのだけど、それがクライマックスのあるシーンでめちゃくちゃ活きる事になるのがとてもやばかった。

プリシラ

ケイリー・スピーニーええやんキャンペーンはまだ続行中。

エルヴィス・プレスリーと若くして結婚し、その後離婚したプリシラ・プレスリーの半生を描いたソフィア・コッポラの映画。
ソフィア・コッポラがプレスリーの映画を撮ったという事にそんなにピンとは来ていなかったのだけど、見てみたらなるほど他の作品の構図とよく似た、ある時期ある環境に囚われた少女の話だった。

そもそもエルヴィスについてよく知らなかったので、あんなに若いというよりは幼い女性に早くから目をつけて、その後結婚までしていたという事実にまずドン引きする。劇中では無理なセックスはしていなかったと描かれていたので、まあほとんどアウトのギリギリセーフという事なのかもしれないが。
そんな感じなので、映画は若くしてエルヴィスと結ばれたプリシラの夢物語のようなものをキラキラ描写するなんて事はもちろんなく、めちゃ高身長のエルヴィスと小さいプリシラが並んだ時の見た目のアンバランスさから、危なっかしい権力勾配とかを明示しつつ、そこが自分の居場所ではない事を悟ってプリシラが自立するまでにフォーカスした映画になっている。

なんて、別に今更そういうものを映画から読み取ったからって、何かエキサイティングに感じる訳でも無いし、正直そこまで面白くはなかったのだけど、エンディングでグレースランド(エルヴィスの家)から出ていく時に、家政婦や会社の女性スタッフらとハグして別れるところではグッとくるものがあり良かった。

プリシラに扮したケイリー・スピーニーは、西ドイツで親元にいた時の普通の学生な装いから、エルヴィスとくっついて彼の好みを強要された結果めっちゃ痛々しい感じになっていくファッションの変化が際立つ、身体的な意味でもぴったりな配役。というか、とにかく西ドイツでの学生服姿がかわいい。

チャレンジャーズ

自分がnoteのフィードを購読している複数名の女性文筆家やライターがざわついていた男2人女1人がもつれ合うテニスの映画。監督はルカ・グァダニーノ。

ざわついていたのも見て納得。

松本大洋の『ピンポン』におけるペコとスマイルみたいな(あんなにキャラが対照的ではないけど)ずっと一緒に仲良く同じ競技で切磋琢磨してきた2人のテニスプレイヤーが、1人の女に関するあるきっかけで離別することになって10数年後、片方はトッププレイヤー、もう片方は年中ドサ回り、と境遇は天と地ほど開いており、本来ならもう巡り合う事もなかったはずが、ひょんなことから同じ大会で対戦することになって…みたいな話。

なんだけどそんなストーリーの顛末はさておいて、この男2人の若かりし頃のBL寸前の過剰なじゃれ合いが可愛いやらちょっと気持ち悪いやらで物凄い上に、完全にその2人の中心に陣取ってパワーバランスをコントロールしている女タシ・ダンカンの圧倒的な存在感がかっこいい。

そしてそれらの関係性や欲望が劇中の「テニスは関係性(リレーションシップ)」というセリフそのままに、テニスのプレイを通して語られる、みたいな。

あんましうまく言えないが、ぱっと見爽やかに見せかけてなんだか異様な映画。面白かった。

シビル・ウォー アメリカ最後の日

『プリシラ』と同じくケイリー・スピーニーええやんキャンペーンにつき勢いで鑑賞。

内戦が起きてしまった近未来のアメリカで、大統領に取材をするべくジャーナリスト4人がニューヨークからワシントンDCに向かう話。

観る前は「大統領選を前にしてこんな映画やって大丈夫なんだろうか」くらいの事を考えていたのだけど、いざ見てみると、そもそもどういう思想の衝突で分断が生じたのかであるとか、分断がどういう経過を経て内戦にまで拡大してしまったのか、みたいなことは結構ぼかされており、とにかく起きてしまった内戦があって、その苛烈な状況下で奔走するジャーナリスト達の姿というミクロな物語に絞られているような印象。

分断が起きているという設定の背景は現実とリンクするものだし、劇中アジア人としてはショッキングだけどまあそういう感じですよね、となってしまう展開もあったりするせいで、そこそこ精神的に負荷を感じるような部分もあるのだけど、それでも意外とただフィクションとして楽しんでしまって、見終わったあtで自分に対してちょっとモヤモヤもした。

もっと現実に即した社会派の映画であれば「戦争がいかに虚しいものか」とか「ジャーナリズムとは」みたいな問いかけが行われるのだと思うのだけど、それよりは戦争という異常な状況下でのカメラマンとして狂気的なゾーンに足を踏み入れていく高揚感と背徳感を突きつけられるような作りになっていたのは、DCに向かうまでのさまざまな狂気的な状況を重ねていくロードムービー的な構成と相まって、結構『地獄の黙示録』っぽいなとも思った。

直接映画とは関係ないのだけど、この映画でケイリー・スピーニーと共演したキルステン・ダンストが彼女の事を気に入って、『プリシラ』の準備中だったソフィア・コッポラに推薦したっていうのはいい裏話だなと思います。

ゴジラ-1.0

いい加減見なければと思い、自宅のモニターで録画したものを鑑賞。

ゴジラの出てこない人間同士でドラマが進行するシーンは想像よりも大雑把な印象で、感情が爆発するまでの積み上げがされきっていないのにトリガーが引かれて「なんでこの人はいきなりそんな事を言うのか…」となってしまう場面ばっかりだった。

それでもゴジラの出てくるシーンは話に聞いていた通りのかっこよさ、特に戦後になって主人公が海上で再び相まみえる事になるシーンは、これまでゴジラで感じた事の無かったタイプのスケール感だったり、そこでの機雷を使った対処の方法だったりがいろいろとフレッシュでとても良かった。

とは言え人間たちの状況がガンガンセリフで説明されていく一方で、ゴジラの存在理由や行動原理については都合よく説明を放棄しているようにも感じられて、銀座で暴れている辺りではアクションの派手さを興醒め度合いが上回っていってしまう。東京に上陸してくるのも「きっと縄張りになったから絶対また来ます」みたいなぼんやりした言葉ひとつでしか示されないのってどうなんだていう。
「未知の生物だから行動の理由なんかわかんないし来るもんは来るんだよ」って事なのかもしれないけど、それだったらそこに謎が残されているという疑問をそのまま提示するとか、観客をグリップするやりようはありそうなものだけど。

というような事を考えながら、今年になって何回か観直しまくっている平成ガメラシリーズがどうだったか思い返してみると、悉くクリアしていていてやっぱりすごいなとなった。

そのほか

  • Scanwatch の裏蓋の接着が外れてカパカパしていまい、Garmin の Instinct の何かが欲しくなってしまった。
  • 石破茂の党内での四面楚歌っぷりからくる手の平返しの数々について、単に「嘘つき」呼ばわりしてしまうのは本質的な批判ではない気がする。
  • 『Alien:Isolation』が怖いので『Mouthwashing』を買った。