2025.3.17~23。
仕事以外の記憶があんまりナス。

NMIXX - “KNOW ABOUT ME”


かっこいい。
曲の渋さ、MVの冷たい質感のグレーディング、Performance Videoの構図の切り取り方などなど、わりと全面的に好み。

こたけ正義感の聞けば無罪

今週はずっとこたけ正義感のポッドキャストをずっと聴いていた。尺といい、話のテンションといい、ひとり喋りの回とゲスト回が交互で配信される構成もなんかちょうどいい。
年始に話題になっていた弁論も観に行きたいが、あれの後でホイホイ行くのもミーハーっぽくてちょっと気恥ずかしい感じがあり、それより普通のネタっぽい漫談ライブにちょっと行ってみてもいいかもと思っている。

https://omny.fm/shows/muzai/playlists/podcast

会社員の哲学

柿内正午さんの本。

前提として自分は会社員として会社のために働くということをした経験がないので、この本を書くに至った賃労働の馬鹿馬鹿しさとか、会社で頑張ることが自己実現になるとするような風潮への反骨心みたいな部分は共感しきれず、提示された金額分働けばいいでしょみたいな話はフリーランスの身からすればそりゃそうでしょ以上の感想を持てなかった。

それでも、その延長にある人間を規格化し部分として扱うことで合理的に回して行く会社の在り方が、外部というものが存在しない社会で適用されだすことが問題なのだという主張はよくわかるというか、今の社会の歪さを捉える鋭い言語化でハッとさせられる。

会社において部分であることは、規格化の全面的な肯定ではない。規格化の論理を会社の内部にだけ留めておくような節約の技術だ。会社の論理を社会にまで安易に拡張しないこと。規格化は分業の効率化にとって不可欠なものではあるが、複数の異なる他者がバラバラのままになんとかやっていく社会においては全面的に適用してはいけないものなのだ。なぜなら、規格化というのは、純粋なものの称揚や均一化への意志という発想と相性がよすぎて、全体主義的な状況を呼び寄せてしまうからだ。規格化へのある程度の抵抗とは、不純なものの居場所を作り守ることにほかならない。

業務を効率よく回していこうと思うと、どうしても規格化の必要は出てくる。だからこそ、会社という閉域が必要なのだ。個人を均質的な部分として扱い、そうすることによって個人を守る機構の論理は、会社という閉域があるからこそ機能する。会社には外部があり、ある閉域に馴染まない場合、べつの会社に移る可能性があるにはある。けれども社会には外部がない。転職の余地がない。そうであれば、規格化しきれない不純なものを規格にそぐわないからという理由で排除するようなことがあってはならない。会社が問題なのではない。社会の会社化が問題なのだ。
(柿内正午『会社員の哲学』, p114)

読んだ記事

一番上の兵庫県の内部告発文書に関する第三者委員会の記事で委員長が言っていた「ゆっくり読んでください」というのは、素朴だけどほんとにそうというか、とにかくこうした陰謀論やネット上の炎上だったり対立みたいなイベントに対して、どういった主張であれ、なにがしかのリアクションをして周りに見せることがまず最初のターンのアクションとして選択されがちだけど、まず焦んないでゆっくり読んでみなさいよってのは本質的な呼びかけだと思う。

また、短文で流れの速いSNSにしか社会に対して大なり小なりのアウトプットをする場がないというのもやっぱり不健全で、もっと受け止める為の時間的なバッファが強制的に生じるような仕組みって必要なんだと思う。何度も書いているような話ではあるけど。そのくらいのスピード感でよいとなればTwitterだって離れられるのではないかと思うし。

その他

  • モトーラ世理奈x松岡一哲の写真展を再訪、買いそびれてたプリントを購入。
  • Steamセール、今更ながらSANABIを触って感動。
  • ミラノサンレモ、ポガチャルの異常な作戦を力でねじ伏せたマチューのかっこよさ。
  • ONE172のPPV買わなかったのをちょっと後悔。