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isbsh

Week24 : All That Is Done In This World Is Sin

Table of Contents

2025.6.9~15。
イスラエルはいい加減にしろや。ふざけんな。戦争反対。  

ピンクの色調、破裂した胴体から抽象的なのと具象っぽい植物的な何かとブロック状の何かが広がっている人間の絵と「かえります」の文字

単に仕事場から帰る前に描いたから「かえります」と書いたのだけど、絵の雰囲気的に「還ります」的な意味をあわせているみたいになってしまってるようにも見えて、ちょっとはずい。

Zen Browser

ウェブブラウザを Zen Browser に乗り変えてみた。

以前は Brave だったり Vivald iだったり、一時 Arc を使ったりもしていたのが、たしか脱 Google とかプライバシー保護的なモチベーションから Firefox Nightly 一択になっていたここ最近。(Nightly版なのは、Old Tweetdeck みたいな署名がない拡張機能を入れるため)
ところが少し前から Windows 版でキャッシュがぶっ壊れたりするのかなんなのか、使用する日本語フォントによって文字化けする現象が起きるようになっていて、一度は修復出来たものの、今週再発した時にはその原因と対策がなんだったのかド忘れしてしまい、突き止めるのもめんどくさくなったので気分転換も兼ねて別のブラウザを検討してみることにした。

はじめは以前使っていた Brave と Vivaldi のどちらにしようかなという程度の話だったのだけど、どちらもいざインストールして使ってみると、以前はあまり気にしていなかったフォントの滲みが気になって気になって…ちょっと無理だなとなってしまい、Firefox 派生のものを探す流れに方針転換。

検索のあたりをつけるために ChatGPT に訊いてみたら、Librewolf、Floorp などを薦められるが、前者はよりガチガチにプライバシーセーフティ故に設定の自由度が下がってしまっており、フォントの指定も効かないのがつらめ、後者の Floorp はカスタマイズ性とか機能が豊富な方向なんだけど、若干重い気がするほか、アイコンのデザインが好みじゃないからテンションが上がらない…など、いずれもピンとは来ず。

もうちょい粘ってその辺のアプリケーション名でも検索してみると、Reddit の r/browsers にいくつかレビューっぽい投稿があって、その中に Zen Browser なる名前をいくつか発見。気になったのでそれを試しにインストールしてみると、何のことはない Firefox の Arc クローンブラウザだった。クローンつってもベースのUIデザインだけで、標準機能で要素を消したりは出来ないんので、単に垂直タブとスペースがあるってだけだけど。

ちなみに Windows 版の Arc は、ロケーションバーから日本語で検索しようとした時に、最初の1文字だけで検索してしまうという謎のバグがずっと放置されていたのが、Zen はそういった不具合もなさげ。というわけでこれなら普通に使えるじゃん、となり暫定的に Zen を常用してみています。

花束みたいな恋をした

柿内正午さんのポッドキャストで感想を話している回がこないだ更新されていたのを聴いたらとても面白かったので、その流れで「いい加減観るか」というテンションになり、『花束みたいな恋をした』をようやく観た。

寝かせに寝かせた上での初見だったが、公開当時に、己の過去の恋愛が照射されて抉られるだの、パズドラの描写がつらいだのと、様々な阿鼻叫喚が渦巻いていたのをチラ見していたため、そういう印象の話が積もりまくってだいぶ身構えての鑑賞。すると基本的には面白く観られたのだけれど、正直そこまでのアタック感はなく、ちょっと拍子抜けしてしまった。むしろこの映画の主人公たちの顛末に自分たちを重ね合わせた柿内さん夫妻の話の方が面白かったように感じてしまったほど。

そこまで自分のことのように思えなかった理由はいくつかある。
まず、迂闊な言葉を発して相手を傷つけていただろうといった局所的な記憶などを思い出させられて頭を抱えたくもなったりはするのだけど、もっと大きなライフイベント、それこそ同棲などを経た上での断絶と後悔といったものを経験していないことの影響はでかく、これを自分の物語だと感じることはなかなかできなかった。また、その少ない経験と照らし合わせてみても、あそこまでなんでもかんでもウマが合うなんて感じだったことはないし、交際相手と好きなものが似ているようで実は遠いという状態のまま、自分が本当に好きなもの、ましてや自分そのものについて開示し知ってもらおうとはしていなかったことを突きつけられた気がして、そういう側面では多少落ち込んでしまった。

あるいは、シンプルな加齢だったり、仕事や遊びで人と接する機会が激減したという環境の変化、それにアロマンティック・アセクシュアルについていくらか知識を得たことによる、恋愛の物語そのものへの興味の薄れによるところも大いにあるだろう。共感できなかったのは主に自分の人生経験や恋愛経験の乏しさのせいであることは間違いないのだが、むしろこうした価値観の変化の方が大きな要因かもしれない。

さらに、自分はどちらかといえば文化系に属する側の人間だと思っていたけれど、この作品中で挙げられていたような作品のほとんどは自分で観たり読んだりしたことがなかったし、実は文化系ですらないのかもしれないなとも少し思った。よく考えてみれば、映画やドラマを観ている時間よりプロスポーツの試合を観ている時間の方が長かったりするし、時々「カルチャーカルチャーうるせえな」なんて思うことだってあるし。
登場人物たちの興味の範囲が自分とはずれていたといえばそれまでの話でしかないのだけれど、「今村夏子の作品を読んでもうんぬん」とか、そのあたりの描写の奥にあるものを初見で理解できない悔しさや疎外感は少なからず感じてしまった。

一方で、自分にいくらか寄せて観られる部分もいくつかあった。たとえば麦のイラスト仕事は受発注のプロセスも金額のひどさ。現実にああいう感じのやり取りをしている人もいるのかも知れないけど、映画として見せられると、ひどさの見せ方が記号的すぎて麦があそことの繋がりだけを頼りに稼いでいこうとするリアリティが薄れたように思う。
イラストを捨てて労働に染め上げられた後の姿の是非よりも、いやいや、まずなんでそんな編集者としかつながることができなかったのよっていうことを考えてしまう。あんなに就活と営業の仕事に邁進できるのなら、自分のイラストの仕事についても、コンペに出すとかポートフォリオの持ち込みをするとか、もっと能動的に動けたのではないか、それが出来ない要因になる場面やちょっとした描写があって欲しかったなと思う。
そこを大雑把にすっ飛ばすことで、絹との関係性の描写に尺を使えるというメリットも分かるけども。

もしかしたら、そういった演出上詰め切れていない部分が上手い具合に余白になり、観客が自分の物語を重ねて語りたくなるような駆動力として盛り上がっていたところもあったりするのかもしれない。

はじめにあんまり共感できなかったようなことを書いておきながら、気がつけばこんなにダラダラと自分語りをしてしまっていて、なんだかんだでそういう力のある作品であるのは認めざるを得ないのだった。

グラント・ピーターセンは実在した

2025.6.14 Rivendell Coffee Outside at 代々木公園

週末、Rivendell のスタッフが台湾出張のついでに日本にも滞在し、なんと代表であるグラント・ピーターセン氏もおよそ10年ぶりの来日。ということで14日土曜日の午前中に Rivendell 乗りのみんなで代々木公園に集合してグラントさんに会おう的なイベントの呼びかけが Blue Lug の Instagram にてあった。

午前中に代々木公園まで行くのは普段の生活リズムからするとだいぶ早起きをせねばならないし、直接伝えたい感謝の意だったりサインをしてほしいという気持ちがめちゃめちゃあるみたいなテンションでもなかったので結構迷ったのだけど、Rivendell がいっぱい集まってるのも見てみたいし、グラントさんが実在するのも確かめてみたいなという気持ちを盛り上げて、少し遅れ気味に参加してみた。

9時集合だったところを10時に到着したので、催し自体は宴もたけなわという頃合いも若干過ぎており、グラントさんとの接触イベ(サインと握手に3ショット撮影会)真っ盛りという状態で、賑やかしにすらなっていたのか怪しいタイミングではあったけども、グラントさんが実在していたのを確認できただけでもよかったです。
サインと撮影をしまくるみなさんを眺めつつ、自分が知ってる Blue Lug スタッフの方々とは軽く話も出来たし行って良かった。

読んだ本

  • 『ネット怪談の民俗学』廣田龍平
  • 『妹が死んだ時の海亀』朱雀門出

きいたやつ



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KISS OF LIFE も Jenevieve も極上なんだけど yanagamiyuki の曲ばっかり聴いてしまう。