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isbsh

Week32 : Fucking Crazy Katejina

Table of Contents

2025.8.4~10。
納品したはずの案件で未だにレンダリングさせ続けられているのがにわかに信じがたいのですが、新しい仕事の連絡もきた。

あと家で両親と食事をしていた際、父が母に対してネチネチ料理の批評をし続けるのにムカついて久しぶりに激高したりもしてる。もはや何かを強く指摘したところで変わる齢でもないのに。

鎌倉いった

去年も観に行った鎌倉の鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りに、今年も久仁生さんのぼんぼりが奉納されてるとのことなので挨拶がてら観に行った。暇だもんで。

昼過ぎに自宅を出てからお土産のコーヒー豆を買って、自転車で東京駅へ向かい、乗り換えなしで行ける横須賀線でたらたら向かう。15時頃に鎌倉駅に到着し、八幡宮に寄って既に参道に飾られていたぼんぼりを軽く眺めてから加藤宅へ。

去年来た時から、引き取ったのと一時預かりの保護犬の中型犬が2匹も増えていて賑やか。保護犬だからなのか自分のせいなのか、みんなゴリゴリによそよそしいのだけどかわいい。

また、稲葉さんも既に来ていて、お酒やノンアルコールビールを飲みながらあれこれ、稲葉さんが描いた漫画の話とか、クスノキの仕事のこととか車のことなんかを話す。稲葉さんの漫画はSNSで眺めていると、いろんな本屋さんで扱ってもらっていてすごいですねと言ったら、自分でメールして置いてもらえるようお願いしたんだそう。また志村貴子さんとか西村ツチカさんとかの手にも届いていてすごいですね、とか。

夕方、ぼんぼりの中のろうそくに火が灯された様子を見にみんなで八幡宮へ出かけて、久仁生さんほか、鎌倉にゆかりのある文化人のぼんぼりを眺めて回る。去年にはまだあった蛭子さんのものがなく寂しい。そのほか、去年にはもっと本殿寄りに置かれていた庵野秀明・安野モヨコ夫妻のものがアニメ・漫画ゾーンにまとまめられてたりなどさまざま。まあしかし贔屓目抜きで久仁生さんのは素敵だなと思う。

ひとしきり観終えてから八幡宮そばのピザ屋で食事。副菜もあるのに調子に乗ってマルゲリータとサルシッチャとなんか野菜のやつと3枚もピザを頼み、レモンビールも飲んで完全に終了。例によって寝てしまう。とにかくおいしかった。

翌日、酔って寝てしまったせいで逆に消灯後には目が冴えてほとんど寝れないまま、早朝から材木座の浜辺に向かって犬たちの散歩。サーファーと犬連れオンリーの空間。早朝の海の気持ちよさと不眠の気持ち悪さの混ざった変な感じは、水とお湯の混ざりきってない湯船の中に似ている気がする。ひとしきり遊ばせた後、犬同伴オーケーのカフェみたいなところで朝食という鎌倉っぽいムーブだけど、不眠のせいで満喫はしきれず。

加藤宅に戻った後しばらく休んでから帰った。

機動戦士Vガンダム

近頃は「アニメなんて…」などと思うようになってしまっていた自分ですが、『ジークアクス』とか『水星の魔女』とか近々で話題のものがいくつかある中、唐突に『Vガンダム』を今観るべきという気がしたので、U-NEXT で一気に鑑賞。

ガンダムシリーズの中でもウッソが特に若い(幼い)主人公であることや、序盤のヨーロッパの森を舞台にした絵柄の雰囲気などから、どこか世界名作劇場のような牧歌的なイメージ(名作劇場も別に牧歌的な話ではない、みたいな話もありそうだけどそれは置いといて…)が先入観としてあった今作。
しかし、富野作品の例に漏れず序盤から戦争で人はガンガン死ぬ上、そんな牧歌的なイメージに違和感のない、これまた優しそうな年寄り連中が何の葛藤もなくウッソを戦力として扱おうとする様は、ちょっと不気味というか異常な趣きで、「これが残酷さで名高い所以…」と思わされる展開が最初から続く。ウッソがメンタルやられないからギリ成立してる。

また、シリーズの中でも、Vは特に女性の存在について言及されることが多い印象があったので、少しそういうモードでも観てしまう。
実際、ウッソという純粋無垢な少年を取り巻く形で登場する様々な女性キャラクター達は、男性以上に印象に残る魅力があり、またそれぞれに複雑さや危うさが描かれていて、「女のガンダム」みたいに言われるのもある程度の納得感はあった。

とは言っても、別に今っぽいジェンダー観で能動的に活躍する女性が描かれているとか、そういった印象は薄く、物語を通してウッソが無垢さをキープした少年のままでいることもあって、女性キャラの側がウッソを将来的な恋愛対象としての可能性はちらつかせたとしても、最終的には母性の担い手としての女性みたいなポジションに収まりがち、言い方を変えればありとあらゆる女性がウッソをめぐって母性を発揮しようとしてくるな、みたいな印象の方が強い。そういう意味で女が軸の物語ってことなのかも。
女性の主体性が消されているということでもないんだけど、結局みんなウッソを庇護する母や姉として動いている。

そんな中、ザンスカールのルぺ・シノやカテジナあたりは、なぜかつまらない男との関係を最後まで保持し続けはするのだが、ウッソに対しては敵だから当然庇護なんてしないのだけど、もっと露悪的ににウッソを自分のものにするとか、逆に拒絶したりする役割というか余地を与えられているのが良かったなと思う。 ただ、そんなそのザンスカールの女性キャラクターも最終的には「ザ・狂気」みたいなふるまいをする方向へ急速に収束していったのは、テレビアニメのフックとしては面白いから多分その方が正解なんだろうけど、ウッソという無垢な少年の圧倒的な正しさの為に狂わされたようとも言える気がしてちょっとかわいそうだし、作品のリアリティという点でももったいなかったように感じてしまう。

ストーリーのことも触れておくと、主人公が51話もかけて打倒しにいく、ザンスカール帝国の目指してるものというのがなんだかよくわからなかったな…というのが正直なところ。で、そこの骨格の弱さが上に述べたようなカテジナをはじめとする狂ってしまった女性、みたいなキャッチーなモチーフに最後は頼らざるを得なかった要因のように感じている。
もちろん国家としての、地球の環境回復と女性優位で争いのない社会みたいなお題目から、エンジェルハイロゥを使ってうんたらかんたらしてやるぜってなってるのはわかるのだけど、マリアは当然のことながら黒幕であるはずのカガチに至っても、そんな残虐な手段を使ってまで、理想を実現するのに暴走しているみたいな風には全然見えないんである。 なまじ争いのない世界的な理想を中心に置いたせいで全体的に生ぬるいというか。彼らが消そうとしてる存在も、地球連邦とかリガミリティアみたいな軍組織としてはあるものの、排除しようとしているものに人種とか宗教によるラベリングも特にないので、なんかフワッとしてるというか。

カガチ以外にもザンスカールの男性将校はどいつもこいつも、野心も理想も残酷さも優しさも、ついでに言えばビジュアルもシンプルに中途半端だったのが、物語としてよくなかったように思う。もしかするとあえて男性のつまらなさをつまらない男性としてそのままキャラクターにしたのかもしれないけども、ただ単につまんない人たちでしかなかった。

少なくともクロノクルはもっとキャラとして立っていなければいけなかったはずなのに、なんなら一番中途半端で、最後の最後までなんだか主体的にやりたいことも特に表現しない人間のままだったのはなんだったのか。取るに足らない男であるならその程度の存在として、もっとカテジナに利用されるなり操られるなりしても良かっただろうに、最後まであいつが物語の中心にい続けたことは本当に納得がいってない。 そこまでダメな方にも振り切れなかったのは、男性のしょうもなさを見せるという役割をピピニーデンあたりが請け負ってしまってたせいみたいな作劇上の都合なんかもありそうで、物語におけるキャラクターの配置って難しいのだなと思わされる。

…などなど語りたくなるポイントはたくさんあってキリがなく、もっと出来たのではと思ってしまうシリーズだったけども、面白かったです。なんて、文句ばっかりつらつらつらつら並べて最後にひとこと「なんだかんだで面白かった」で締めるどうしようもない感想の述べ方ばかりしていて本当に良くない。

作画の面でも時々旧 GAINAX のスタッフだとか村瀬修功さんといった名前がクレジットに並ぶエピソードもあってそういう回は眼福だった。

次何見よう。ザンボット3あたりか。

世界に学ぶ自転車都市のつくりかた

Bicycle Club の何号か前の特集で取り上げられていたのが気になって読んだ、自転車にまつわるインフラデザインについての本。
都市計画の観点でダントツの自転車先進国であるオランダやデンマークの道路がどうデザインされているのかを皮切りに、じゃあアメリカやイギリス、フランス、ドイツ、そして日本はどうなってるのかを各都市の現在の状況を見せながら比較して、主に日本はどうしていくべきなのか語られている。

読んでみて、まず結構意外に感じたのは、アメリカのニューヨークみたいな都市で道路設計の見直しがガンガンされていて、自転車や歩行者にとってよくなっている点。というのは自分がたまに見るトラックバイクのビデオなんかを見る限りでは、道路の上では完全な自己責任で個人の走行能力や判断に裁量を委ねられているように見えていたのと、そもそも自動車の立場が強い社会だと思っていたからで。
冷静に考えてみれば、信号無視上等みたいな側面もでかかったトラックバイクカルチャーにおいて、お上の作った道路設計に従って走ってる訳はないのだから、実際の道路のデザインが見えるビデオである訳はないんだけど、よくよく思い出してみると、都市によってはトラックバイクがぶち抜いていく一般の自転車の走るレーンが歩道と駐車帯の間に設置されていたような気がするのだった。

また目から鱗だったのは、そもそも道路において自動車みたいな一番質量も速度もある危険な乗り物が一番快適に走れるようになっていて、歩行者や自転車はその割りを食わされているのは完全に間違ってるという道路の捉え方で、その観点に立てば、たとえば自転車乗ってる人間の方が安全の為とか言ってヘルメットの着用が強いられるのは設計として違うでしょと言えてしまうようなことだったりとか。宇沢弘文の『自動車の社会的費用』の話とも完全につながる話だと思う。

他にも、自動車の走行地帯をペイントで塗り分けるだけの自転車レーンが、自動車の路駐ゾーンにされるだけでインフラとして機能しないのは、日本の現状だけでなく各国の過去の事例を見れば明らかであると断言して示している点などもよかった。

オランダやデンマークのように、自転車が乗りやすいというだけでなく、明確に自動車の交通量を抑制するという意図でデザインがされており、それを自動車産業が強い日本で実現しようとするのは、相当ハードルが高いことのように思えてしまうのだけど、似たような産業構造のバランスのアメリカだって進めることが出来ているという事実は、結構勇気づけられるところがある。

それから、オランダのような国であっても、市民がなにもせずとも政治の側から現在のようなデザインを実行してくれたわけでは決してなくて、ことの起こりとしては市民の社会運動があったからという点はちゃんと考えないといけないよなとも思った。

メタファー:リファンタジオ

クリアした。ラスボス前の試練みたいなので詰まったせいで、ちくちくとレベル上げに励んだせいでなんだかんだトータル100時間強のプレイ時間。

参院選のタイミングでプレイし始めたのもあり、ゲームのシナリオに重ねていろいろと現実の光景を重ねて見てしまう場面が、ゲーム全体を通していくつもあった。かいつまんで言えば、自分のいる世界で暮らす多様性と、そこで発生するマジョリティとマイノリティの力の不均衡やアンフェアな構図の問題であったり、メディアやSNSのユーザーの声や為政者の発信によって、不安が煽られることによる民衆の危うさであるとか、カットシーンで描かれるドラマを見れば重厚でリアルというタイプのものではないかも知れないものの、制作者の問題意識や真っ当なメッセージがとても伝わってくる内容だった。
その辺の描き方について少しTwitterを検索してみると、「多様性」というワードだけ受け取って「ポリコレ(笑)」みたいに揶揄する内容の声もいくつかあり、ああいうのを目にしてしまうと、多様性はあくまで当たり前にある前提も前提の話でしかなく、アンフェアな状況こそが問題なんだけどな…ということの伝わってなさから難しい気持ちにさせられてしまう。
また「「正しさ」の暴力性」みたいな言葉もキャラクター間の会話の中に出てくるのだけど、それって、排外的な主張をする側に対しても、リベラルな主張をする側に対しても言える言葉であると思うので、その辺りの捉え方も人によって様々にされているのかなという気はする。

更に、大きな物語としては「思い描いた幻想=理想を信じて現実を変えていく意志」みたいなメッセージにも及んでいき、それはそれでフィクションを届けるクリエイターとしてめちゃめちゃ正しい姿勢だと思う一方で、現実には人々が情動的な物語にばかり突き動かされてロクでもないことになっている世界というものも目の当たりにしてはいるので、素直にうなずけないところもあったりはする。まあナラティブで動かされる人の行動はナラティブでしか変えられないということなのかもしれないけど。

バトルとかゲームシステムに関しては取り立てて新鮮味を感じるようなものでもなかった反面、言い方を変えれば最後まで大きなストレスもなく遊んでられる安定感はあったと思う。ニンゲンとか繰り返される攻撃アクションを冗長に感じる時間もあるにはあったにせよ。

それはそれとして、キャゼリナが最後まで仲間に加わらなかったのは信じられません。もしかして、これが世に言われるアトラスの完全版商法ってやつなのでしょうか。

そのほか今週遊んだゲーム

  • ダレカレ
  • Nubby’s Numbrt Factory

GGST ルーシー参戦

先週末のEVOで、ギルティギアのDLCに追加されるエッジランナーズのルーシーのトレーラーが公開されてウヒョーとなった。まだどういう性能なのかよく分かんないけど、ただ触って動かしてみたい。Cyberpunk2077のクイックハックみたいなのもあるし。

核武装のコスパの話

参政党のひとの発言をきっかけとして、そんなん言うんなら現実的な可能性として実際どうなのよ、みたいな話をいろいろ事実関係から考えてみる内容。結構為になる。 めちゃざっくり言えば、技術面や法律の面ではおそらく不可能ではないものの、保有してNPTから離脱することによる経済制裁と国際的な孤立、また例えばウランが輸入できなくなることで原子力発電まで立ち行かなくなる点だとか、原潜を米国にさえ漏らさずに作れる可能性の低さ(=日本の防諜能力のなさ)から見て、まあ出来ないですねって話。コスパ低いわけでもありません。お花畑はそっち、で終了。