Skip to main content

isbsh

Week41 : there is still time

Table of Contents

2025.10.6~12。 めちゃ淡々とレギュラー仕事の作業をしてた先週に引き続き凪いだ1週間。

サクさん

仕事の打ち合わせで恵比寿に来てたサクさんと久しぶり、10年ぶりかもっとか、とにかく久しぶりに会ってちょっと話した。久しぶり過ぎてつい「何歳離れてるんだっけ」なんて基本的な話から「大学で誰と誰が同じ代で云々」みたいな中年くさいどうでもいい話になりかけるも、大学の先生やることについても聞けたのでよかった。人数多めの講義もフォーマットが出来ちゃえばそんなに大変じゃないらしい、とか。

制作の話で言うと、仕事でAIを使って中割を描かせてみたらだいぶ使えて超よかったみたいな話もあり、そのまま使えないところを修正する必要はあっても、それでも自分で全部割ったり人に指示出すよりは遥かに楽なんだそう。
ちなみにその時はViduを使ったそうな。

カガくん

国分寺の坂井さんの妹さんがやっているケーキ屋さかみちで、坂井さん他数人のちょっとした展示をしているのを観に行くついでに、せっかくだしということでその展示にも出品してるカガくんを呼び出して、お茶したり酒を飲みながらあれこれ話した。

サクさんほどではないけど、こっちもまあまあ久しぶりだったので、前に会った時にも同じ話をしていた気がする話題が多かったかもしれない。 たとえばカメラの手ブレとかレンズフレアを使う事で、その目線の主体がカメラであることを明示してしまってるアニメってどういうつもりなの、とか、レイアウトがストーリーを描くためというよりはただ1枚絵といてかっこよく収めるためだけのものになってるものが多くてダサい、みたいな愚痴とか、某くんのある部分での信用ならなさみたいな話…などなど、その辺の話題を直接話す相手というのもお互いあんまりいないんだよね…って感じなのでつい話してしまう。

あと、とにかくバンドリのキャラクターの描き方は素晴らしいんだという話だとか、LLMの使い方、読書会やってみたいみたいな話をした。
彼とは話してると面白いし定期的に会うきっかけづくりとして読書会とかはほんとにやってもいいのかも。

公明党の連立離脱

石破茂の戦後80年の所感発表とかガザの停戦合意もあったのだけど、国政の明確な転換点を見た感じでめちゃくちゃ浮足立ってしまい全然作業が手につかなかった。

どう見たって自民党にとってはダメージのでかい自爆にしか見えなかったのだけど、報道される右派の自民党議員の発言やYouTubeでの支持者のコメントを見ると思いの外素朴に喜んでたりしていて絶句する。流石にバカすぎなんじゃなかろうか。自分の世界観が純化されることへの短絡的な快感を、自分の理想が実現してると勘違いしてるだけでしかないのだろうけど、そんなくだらないことで世の中不安定になっていくのだなと思うとつらいものがある。

いい加減自分が生きてる内に社会が良くなることもないのかも…という諦めも生まれてきてしまっていて、そこまで来てようやく冷静に見れて、政治的な話題にいちいちフラストレーションたまらなくもなってきてはいるけれども、それでいいわけがないよな~。

世の中イラストレーターに厳しい

別に絵で収入を得てるプロのイラストレーターでもなければアマのイラストレーターでもない、そもそもそんなに上手でないから同じラインで話すことでもないのだが、ここやSNSにアップしてる落書きについては、結構instagramなんかを見ながら描くことも多いので、自分の描いたものに対して見た人によっては「トレパクやんけ」となってもおかしくないんだろうなと思う。なので、習作的にほぼまるっと写生みたいな形で描き起こした時は、当該の画像のURLを一応はっつけるようにはしてるのだけど。

ただ今回江口寿史に対して向けられてる厳しいコメントの中には

個人的には、広い意味で「女性のモノ化」のように感じて嫌だった。
女性を描くことで名を成した人に、実は女性に対するリスペクトはなく、欲しいのは女性のガワだけだったのかという。

( https://www.youtube.com/watch?v=kXdALCXPR2s&lc=UgzMtGn7wIeySUM15zp4AaABAg )

みたいな言葉もあって、どこからがトレースで著作権侵害かどうかみたいな話はさておき、こういう意見の方に考えさせられてしまったというか本質的なところを突かれたように感じる。

自分の描いてるものが落書きとか練習レベルとはいえ…というのは言い訳がましいが、そういう行為であっても女性に対して「この人の立ち姿は美しいな」みたいなこともすっ飛ばして「このフォルムは美しいな」みたいな感覚で見てしまうことが多いのは否定できないし、そればかりか生身の人間がもってる歪さを修正したり、自分の絵柄に描き変えることが孕んでる暴力性みたいなやつは心に留めておかないといけないと思う。
参考資料をそのまま描き起こしたものでない、イチから描いた女性がモチーフの絵であっても、ただ人形みたいに扱ってないか…自分の描きたい欲求の為に女性のフォルムを利用してないか…女性らしさをコスプレ的に消費してないか…みたいなこと、敬意をもってというと少しニュアンスがズレるような気もするけれど、安直に女性性を記号的に扱ってないかという目線は忘れずにおきたい。

テレビの中に入りたい

なんとなく観に行った方がよさそうだと思って、小雨の中自転車に乗って木場に向かう途中で綺麗にタイヤが滑って頭を強打して、伸びた首筋の痛みを我慢しながらの鑑賞になってしまった。 というコンディションの問題もあったのかなかったのか、映画自体については、わかるけどわかりきってはいない、ぶっ刺さったって言いたいけどそこまで到達できない、少し掴み損ねたまま観終えてしまったような体験でちょっと悔しい。

わかりきってはいないというのは、明確にトランスジェンダーの人が自分の抱える性別違和と向き合い、それまでの社会的なつながりを失うリスクをとってでも、自分のアイデンティティを獲得する道を選ぶことが出来なかった人の話、というような事は予めなんとなく知ってはいたので、同じ悩みの当事者ではないながらも大筋のテーマを理解は出来たのだけど、感覚としては自分事として受け止めきれなかったな、というのが正直な感想だなというか。

ジェンダーやセクシュアリティについての観点以外にも、思春期独特の鬱屈とした世界の見え方だったり、その頃に観たものへのノスタルジーが安全なものだと思って閉じこもってしまう事の危うさも描いているのはわかったし、それについては自分の経験とも接続することは出来るのだけど、あくまでもそれはいち側面であると思うし、もっとクリティカルにこの映画のことをわかりたかった。わかったらわかったでめちゃくちゃつらい話だとは思うのだけど。

劇中に出てきた" there is still time" ってメッセージに無理矢理紐づければ、完全にではなくても理解を進める時間はまだあると思うから、折を見て観直そうと思う。デザインまわりがかっちょいいのでBDは欲しいし。

きいたやつ