あついけど体が冷えるよりはまあマシみたいな感覚でやっていく。2023年7/24~30の記録です。

自宅のPC環境が復活

復活というと修理したみたいだけど、中身のパーツで言うとストレージ以外はほとんどすげ変わったのでほぼほぼ別物で買い替えに近い。

水冷クーラーを買い替えずに今売ってるマザーボードで使い回すために必要なスタンドオフを待っていたら2週間もかかってしまい、時間が空いたせいで、せっかくスペックはバキバキに上がったのにゲームとかをやる気にもあまりならなくなってしまった。

とりあえず電圧と電力の上限を下げて使ってみているけど、何か書き出したりしていて不満が出るような速度にもならず、且つ発熱も控えめで良い感じ。

𝕏

流石に愛着も何も消え失せてしまって、残っている人たちはよく使い続けてるな~と思う。まあイーロンマスクの大事なお客として頑張って盛り上げていっていただければよいのではないかと思います。

とか言っておきながら、自分もアカウント削除するところまでは出来ていないあたり大して変わらないのかも知れないのだけど、とりあえずというかなんというか、せめてもの抵抗としてTwitterの@isbshを形式上葬った。

先週まではここの更新がツイートされるようにもしていたけどそれもおしまいす。さよーなら。

Yes, people loved to hate Twitter, and hated loving it, but the love was real, nonetheless. Telling ourselves it’s dumb to feel bad about Twitter belies the human impulse to build bonds and connection — which Twitter users spent years doing. We’re a species that forms unhealthy levels of emotional attachments to robots. Did we really think we weren’t gonna feel absolutely wrecked about the apparent abrupt destruction of a social media platform that has been a digital home to millions of people for more than a decade?

そう、人々はツイッターを憎み、愛することを憎んだ。ツイッターを悪く思うのは馬鹿げていると自分に言い聞かせることは、絆やつながりを築こうとする人間の衝動を裏切ることになる。私たちはロボットに不健康なレベルの感情的愛着を抱く種だ。10年以上もの間、何百万人もの人々にとってデジタルの家であったソーシャルメディア・プラットフォームが突然破壊されたことで、私たちは何も感じないとでも思ったのだろうか?(DeepLによる翻訳)

(The weird sorrow of losing Twitter - Vox)

Feedbin

Twitterももう終わりや!

という事で、これまでTwitterでまかなっていた情報収集の網をえっちらおっちらフィードリーダーに移しまくっている。新聞とか専門メディアとか、なんだかんだで未だにちゃんとフィードを出してくれているところは多くて助かる。

と言っても、出していないところは当然それなりにあって、Twitterが公共のインフラとしての機能を担い続けられるのか相当雲行きが怪しい状況のなか、マスメディアだったり公共機関だったりで、ある程度リアルタイムに情報発信できる場を他に用意しようとしてないのって大丈夫なんすか、みたいなことも言いたくなってくる。

また自前とは言わないまでもnoteをやってるパターンはわりかし多くて、フィードがあるだけありがたいと言えばありがたいのだけど、noteの運営だって問題を抱えているようだし、その辺よその企業へ預けることについて慎重になったりはしないのだろうか。ただ出版業界も別に儲かってるわけではないだろうから、そんなとこにリソース割けないのかも知れないけども。

そんな文句はともかくフィードリーダーはというと、ここしばらくずっと使っていたInoreaderがそこまでテンションの上がるインターフェイスでもなくちょっと飽きてきたので、他のリーダー無いかなと思っていくつかとっかえひっかえ試していた。

ただ、今フィードリーダーなんて古い仕組みで新しく良い感じのものが現れているなんてことはなく。かと言って今更Feedlyなんかに戻る気もしないし、少しニッチなところでCommaFeedやFeederあたりを軽く使ってみたものの、インターフェイスがスッキリきれいで好感持てる一方で、全文取得出来なかったり、モバイルで使ってるFeedMeとかReederみたいなアプリで読めなかったり、どれもこれも肝心なところで足りない感じ。

なので有料ではあるのだが、その辺諸々クリアしているFeedbinを使おうかなという方向に傾いているところ。$5/月。まあまあするけどTwitter Blueにあの額課金するのを考えたら悩むのも馬鹿馬鹿しい範疇。

君たちはどう生きるか

変に神妙な気持ちになってしまい、生半可な気持ちでフラフラ観に行くことの許される作品ではないのでは…となかなか腰が重かったところを、周りの人のふわっとした話などに背中を押されて観に行ったら、思っていたよりも王道なジブリのアニメーションでとても面白かった。ちょっと尺は長かったけれど。

観ながらどこへ連れていかれるのかわからなくなるような不気味さと楽しさが本当にあって、それによって時折「なにがなんだか…」となる瞬間も多々あるのだが、最終的には不思議と腑に落ちる感じがし、振り返ってあれは一体なんだったのかと、いろいろな場面を反芻してはあれこれ考えてしまう。あんな糞まみれになる登場人物って。

また全体的な受け止めとして、偉大な作家が作る夢のような世界や物語を見せてもらって来たわたしたち下の世代は、そこで得た何かによって現実の社会や世界をよりよくするために働きかけることもせずに、ただ貪欲に物語を求め続けるだけのいわば劇中のインコみたいになっていないか…なんて見方をしてみると、あらゆる考察や批評もゴミみたいに思えてくる。

『王と鳥』の内容はほとんど忘れてしまったけど、プロット的にきっとあの作品へのオマージュみたいな意図もあるのだろうということは想像でき、高畑勲さんの『かぐや姫の物語』といい、ああいうレベルでものを作ってきた人たちが最後の作品として自分の創作の原点のようなところに立ち返って何かを語ろうとした事についてももっと向き合いたい。

今週読んだ/読んでる本

風になるにはまだ

先週から引き続き読んでいた『Genesis この光が落ちないように』に収録されていた笹原千波さんの創元SF短編賞受賞作品がとても良かった。

人格が情報化出来るようになった時代の、情報化された人間と生身の体で生活する人間が共存している世界の話で、そうなった時の身体性とか世界を受容する感覚だったり、それによって発生するコミュニケーションや共感とその齟齬について、凄く生活感あるタッチで描写されていて、自分の一番読みたいSFという感じがした。

人格を情報化した楢山小春があるイベントのために「あたし」の体を借りる1日の話なんだけど、長い間肉体を捨てていたからこそ楢山が生身のからだに入った時に受ける感覚の鋭敏さと、体の持ち主である「あたし」のぼんやりしたそれとのコントラストにカリカリしたリアリティが感じられてかっこいい。

姿見が目に入った途端、わたしは理屈抜きに納得した。わたしを翻弄する鮮やかな感覚はこの体から生じているのだ。確かな質量をもつ、若く健康な肉体。肌がある。網膜がある。冗長で割り切れない人間という器をわたしがどれほど尊く思っているか、彼女にはわかるまい。 (…)  同期してすぐ、雪解けに勢いづく大河のように感覚が押し寄せた。汗ばんだ掌、冷えた指、手の甲にかかるニットの袖。乾いて暖かい風が頬にあたる。埃っぽいにおい。座位でも働いている骨格筋、体の下の硬い椅子、身じろぎは衣擦れと皮膚への刺激を同時に生じさせる。不規則に注視点が揺らぐ視界、蛍光灯の微妙なちらつき、ひらいたままのイヤフォンケース、電化製品のうなり、遠くにパトカーのサイレン、肩を上げては下げる呼吸、鼻腔に息が通えば耳にも聞こえる。 (p219~220)

トランスジェンダー入門

読み終わった。「そうだったんだ」みたいな新事実ではなく、ふとした時にすっぽ抜けがちだったり、知ったような気になっていたけどまあまあ認識のずれていたような事柄について事細かに書かれていて、あほみたいな言い方ですが勉強になる。

自分は生殖にまつわる医学的な描写とかを見たり読んだりするのが子供の頃から何故か本当に苦手で、性別移行の章あたりを電車の中で読んでいたら貧血でぶっ倒れそうになってしまった。なんと言うかへそから腹に手を突っ込まれて下腹部をまさぐられるような感覚になるというか。だからという事ではないけど、実際にそういう手術を受けることの恐怖感やリスクを思うと気が遠くなってしまうし、それを個人にシステムや社会が強いてくることのグロさは物凄いものがある。

何を言っても不用意な気がして迂闊に何か言葉にする気になれないんだけど、とりあえずシスジェンダーの立場から何かわかったようなつもりになる事にもっと慎重でいないといけないとは思う。

シスの人でも分かるような、読みやすく、整頓された文章を書けば、みんな読んでくれると信じています。だから私たちはこの本を書きました。しかし同時に、私たちは知っています。こうして分かりやすく平易にまとめた文章ではない、トランスたちの雑多でカラフルで、苦痛に満ちたリアルな声は、やっぱり無視されるのだと、知っています。あなたのもとに届いている「トランスの声」には、すでに偏りがあります。この本を書く私たちは、そのことも知っておいてほしいと願っています。(p114)

血を分けた子ども

オクテイヴィア・E・バトラーさんの短編集。まだ読んでる途中。

表題作の一編目は男性妊娠の話で突きつけているものがわかりやすくてとても面白かった。

ビッグモーター

ニュースとしてはまあ「へー…」っていう感じなんだけど、ラジオで記者会見の様子が抜粋されて流れてきた際、ゴルフボールでわざと傷つけた事への弁明として「ゴルフを愛する人への冒涜」とか言った瞬間ふき出してしまった。

【詳しく】ビッグモーター兼重社長 記者会見で辞任表明 | NHK | 自動車

今週のMMA

UFC291はメインだけ、超RIZIN2はなんか長そうだしカードの変更とかごちゃごちゃしててなんかだるくなってしまいPPVは買わないでいたら、YouTubeで何かを見た。

ポアリエvsゲイジーでBMFタイトルマッチって立てつけには全くしっくり来ないのだけど、試合は面白かった。自分はポアリエのMMAボクシングが超好きなのでああいう形でスコンと負けてしまうのはめちゃめちゃ残念なんだけど、まあ言ってもゲイジーだしなっていう。

しかしライト級のトップランカーはヌルマゴメドフがマカチェフに置き換わって、マクレガーがどっか行っちゃった以外はあんまり代わり映えしなくなりつつあるような…などと書いたところで、すっかり勝てなくなってしまったファーガソンの事を思い出して悲しい気持ちに。しっかり栄枯盛衰があった。

RIZINはなんか前半ケージでやって後半になったらリングにわざわざ設営し直していたようで、円形の土台だけが据え置きになっており、円形の土台に四角いリングが乗っている絵面が完全に猪木のUFOみたいで爆笑した。

そしたら瀧澤x太田の試合がリングならではのクソ裁定っぷりだったようで、YouTubeのコメント欄を見た感じ流石のRIZINキッズたちも「リングやめようぜ…」というムードが高まっている模様。多分。

鈴木千裕は初めて見た時の入場のダサさとかコメントの暑苦しさでまったくノれる選手ではなかったのが、パトリシオをぶっ飛ばしたとなるといい加減かっこよく見えてきて、土下座して謝りたい。何は無くともRIZINの日本人戦線でワーワーやってないで、とっととBellatorに移籍させてもらった方が良いと思う。それはそれとしてパトリシオはこんな短いスパンでホイホイ試合受けたらいかんとも思った。

そのほか