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isbsh

Week22 : Truth and Fact

Table of Contents

2025.5.26~6.1。

「帰る」って文字を蹴っ飛ばしてる薄着の人間の絵

WOWOWでまた観られるようになってからも、なかなか観る習慣が戻らなくなっていたNBA。なんだけど、今季のプレーオフが佳境も佳境、カンファレンスのファイナルを迎えたタイミングでいきなり頑張って追い始めてる。ハリバートンがイカすのとバスケ自体がおもろいのでペイサーズを応援しています。

しごと

年始から進めていた2件が共にようやく終わりつつあり、1件の方はいくつかバージョン違いで納品する内の1つが最終的な納品まで出来た模様。ずるずる長引いてたのがようやく提出出来て一安心……と思いきやその直後に編集違いでもう1バージョン作りたい、なんて後出しの要求をされて流石にテンションがだだ下がり。いい加減にしてほしい。
しかも納品した方についてはオンエアなどあるタイプの案件であるのに、しばらくはスタッフとして参加した旨など告知しないよう箝口令がしかれたりもして、別に告知もするつもりなかったけど更にイラっと来た。

最近しごとで使ってみたAI関連ツール

waif2xはもうリリースされてからずいぶん経つ、画像を鮮明さを保ったまま拡大するツールで、送られてきた素材のサイズがギリギリ足りなさそうだったので。Photoshopのディテールを保持2.0でもまあ別にもちそうだしよかったんだけど、こちらの方がなんとなく綺麗そうだったので。
はじめはStableDiffusionのアップスケーラーでやろうと思ったのだけど、透過素材は無理らしく諦めての選択。

Flowframesはフレーム補完のツール。こちらは制作側の都合でスケジュールが圧迫されたので、単純だけど描いてるとめんどくさいアニメーションの線画の中割をやってもらった。と言ってもぬるぬるすぎて最終的に使ったのは1,2枚。 ただし生成したものをそのまま使える感じでもなく、ところどころオバケみたいな線になってしまうため、手で修正する必要はあった。それでもイチから手で描くよりはだいぶ速いからオッケー。

雛形あきこ

先週の3Jにて、Music Awards Japanの映像がきついから見とくべしと言われて見てみたんだけど、実際マジできつくて呆然としながら適当にYouTubeを彷徨った先に浅倉大介プロデュースの雛形あきこ楽曲群に出会ってほっこり。
シンセサイザーのビャーッビャーッビュビュビュビュデデデデデヴィ-ンって連打とか、ダサいけど抗いがたい何かがある。
にしてもコード進行?がほぼほぼSWEET & TOUGHNESS。ていうかDream-selfってなに。

YTBlock

一昔前であればヤフコメに押し込められていたようなタイプのゴキブリが、最近じゃYouTubeのコメント欄に湧きまくるようになって大分精神衛生上よくないので、コメント欄から直接チャンネルごとブロックして非表示することが出来るブラウザの拡張機能を試しに入れてみた。テキストでフィルターを作る事も出来る。

いいんだけど若干表示が重くなる気がする。

怪談に至るまで Vol.2

5月の文フリで買った実話怪談の作家による批評やエッセイのアンソロジー。前号のVol.1が面白かったので。

前号もたぶんそうだった気がするのだけど、「実話怪談とは」的なフォーマットについて語られているものよりも、作家個人の体験が怪談に連なるようなエッセイの方が面白く読めたものが多かった気がする。今号で言うと深津さくら『たまさか』、黒木あるじ『あるお化け屋の読書遍歴(鳳凰編)』、卯ちり『怪談に至るまで』あたりがそういった内容で面白かった。とは言え批評的なものでも丸太町小川『怪談を遡る』も良かった。

また各テキストの合間に差し込まれる蛙坂須美×鈴木捧の対談がとても面白くて、怪談のもつ不条理性みたいな要素は、簡単に何かを分かったような気にならない、物語に世界と向き合う上で大事なものなのではないかという話はなるほどと思う。
以前プレイしたゲーム『都市伝説解体センター』で都市伝説をモチーフにした事件を解体するプレイヤーサイドが最終的に相対するのが、SNSの陰謀論めいた情報に煽られる民衆みたいな構図を思い出さずにはいられないし、それがそのまま現実の社会状況に繋がってるのは言わずもがな。

蛙坂 怪談は、「こういうことしたからこうなったんだよ」みたいな因果論めいたものの対極にあるべきじゃないかと考えているんです。僕は、因果だけで物事を考えていくとどんどん世界は狭まっていくと思っていて。その中で怪談というもの……文学でもいいですけど、それに触れていくことによって、世界は広くなっていくものなんじゃないかと。 といったところで、この話に移行していきたいと思いますが……「あ、オレこの世界のこと分かっちゃった」と思うことの危険性の話ですよね。

(『怪談に至るまで Vol.2』, p88, 蛙坂須美×鈴木捧 文芸としての実話怪談に至るまで 第三部 )

鈴木 ひょっとしたら話の本質に関わってくるかもしれないんですが、トランプさんの名前が出たのでひとつ興味深い例を出しておくと、彼は例の議事堂襲撃事件の時にデマを振り撒いたので、旧 Twitter や Facebook から BAN されました。その際、自分のための新しい SNS を作っていて、その名前が「Truth Social」っていうんですよね。この Truth っておそらく Fact と対になる言葉で、Fiction があって Fact があるのではなく、Fiction と Truth、事実ではなくて真実があるという主張です。これがいわゆる陰謀論的思考の根っこなんじゃないかなと思っています。じゃあ真実ってなんだろう? という。

蛙坂 Fact というと、やはり要素要素の積み重ねが求められるわけですが、Truth を標榜するにあたってはそれが必要ない。物語と言い換えてもいいと思います。きわめて主観的というか「お前はどっちの物語を信じるんだ」というようなことですよね。

鈴木 実話性と実話という問題もそこに対応していて、ナマの出来事が Fact なんだとしたら、実話怪談における「実話」というのは Truth に近いかもしれない。何も意識せずにいると、どんどんそちら側に寄っていってしまう。都市伝説に関しては、もうそこが振り切れてしまっている気がするから、実話怪談はそこを反面教師にするべきだと思います。ナマの出来事を物語として構成することの危うさを意識しておかないと。そこに変な形で意味を付与してしまえば、いくらでも悪いほうに利用できますし。そこは我々が共有している問題意識だと思うんですけど。女性蔑視的だったり地方蔑視的だったり、戦争を起こした人たちを英霊のような形で讃美したりするような物語を作れてしまうということです。そこに対する予防線になっているのが、描写によってリアリティを担保するとか、不条理を導入するっていうことじゃないかと。

(『怪談に至るまで Vol.2』, p117~118, 蛙坂須美×鈴木捧 文芸としての実話怪談に至るまで 第四部 )

RIZIN韓国大会とUFC Fight Night Vegas 107

RIZIN韓国大会のPPV、サトシの圧勝っぷりは別枠として、メイン寄りのカードはなんとか判定で日本勢が勝ったものの、前半の試合はパンデミック中の国内戦で成り上がった日本人選手たちがきれいにKO負けを重ねていて、先週のRTUに引き続き「日本最弱…!」と思わざるを得ないお通夜状態。というか会場の狭さも含めて全体的にローカル団体の興行っぽさが濃すぎ。

UFCはブランチフィールドの試合が相手のバーバーがメディカルトラブルかなにかで流れて残念だった。

Giro de Italia 2025

集中して見れたステージがあんまりなかったのだけど、第20ステージで総合3位のサイモン・イェーツの再三のアタックが成功。に加えて1位のデルトロと2位カラパスの中南米出身2トップが牽制したまま脱せなくなり自滅し、まさかのサイモン逆転総合優勝という激熱展開。

登りでアタックして抜け出したサイモンを逃げに乗って先頭集団にいたワウト・ファンアールトが合流した光景も、2年前までのバカ強いヴィスマを見るようでぐっと来るものがあったし、なんかいまいち弾け切れないレースがおおいワウトの意地をみるようで泣けた。

きいたやつ