Week21 : All the Big Stars Are Blinking On and Off
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2026.5.18〜24。
仕事場にも行かないので純然たる無職状態に突入。そろそろ落書きくらいした方がよい。
引き続き骨折の手術後の経過観察。
右の鎖骨の方は先週から動かせる範囲で動かしてよいとのことだったので、特別大きな動きとか体重が肩にかかるような動作には気をつけつつ引き続き過ごす感じ。 現状で言えば、先週の時点で真上に上げたりするのはそれほど苦ではないものの、腕を伸ばした状態での横方向とか後方への回旋がややしんどいくらい。
かたや左手の中手骨の方は、それまで骨をつなぐ為に骨の中に入れられていた鋼線(針金)と手首から小指までが動かないよう固定するシーネを取り外した。
鋼線の除去では麻酔を打つとか特にそういう手術っぽいアレもなく、手術の時点で後々抜きやすいようにと端っこを皮膚から突き抜けた状態で残してあったのをペンチを掴んで、釘でも抜くみたいにグリグリっと力で引っこ抜くだけだったのでなかなか変な感覚。
おそらくこういうのを自分で目視するのが苦手な人もいる処置であるからなのか、処置前に「抜くとこ見えない方がいいですか? それとも見たいですか?」なんて確認もあったので、そんなの普通に見たいので「見たいです」と即答。
まあ別に見たとて地味な絵ではあったのだけど、抜けるまでには結構じりじりした時間があって、これは見ない方が不安に感じるやつなんじゃないか…という気がしなくもない。
シーネはそろそろ気温も湿度も高くなって来る頃合いなので、かゆみなんかが出てくる前にガーゼや包帯もまとめて外せたのが嬉しい。これによって入浴とか洗顔の度にシャワーカバーを被せる必要がなくなったのも超嬉しいのだけど、3週間ぶりに左手を洗ったら垢が無限に出てきてやばかった。
しかし鎖骨の方とは違い、こちらはまだまだ怪我した小指はもちろん薬指と中指も深く曲げたりは出来なくなってる状態(握り込めないくらいの感じ)なので、完治までの道のりは長そうな雰囲気なのを察してしまう。怪我としては鎖骨の方が重いのだけど、回復までのトータルで見ると手の方が厄介で、「元通りになるんかなこれ…」っていう、不安ではないけどにわかに信じられないくらい指がまだまともに曲げられない。
とは言えこれもいくらか意識的に動かしてないと固着したものがほぐれなさそうなので、動かせる範囲で動かしていきたい。
先週仕事も終わって完全にどフリーの暇な期間になってしまったので、術後の安静期間てことで特に何ということもせず、前にまとめて録画していたZガンダムを豚のようにだらだら見続けた。
Zもファースト同様に、こどもの頃にスーパーロボット大戦とかSDガンダムやプラモデルを組むついでに得た知識でなんか知ったような気になってしまっているが、TV版をちゃんと見るのは初めてだったりする。
ついでに言えば劇場版の新訳Zも大学出たての頃に新文芸坐でのオールナイト一挙上映で観ただけで、自分のコンディションよい状態で観たかというとだいぶ怪しく、細かい部分の記憶はほぼ憶えてなかったりして、とにかく最終的にカミーユが精神崩壊しますということ以外は対して頭に入っていないようなほぼほぼ新規と変わらない状態での鑑賞。
感想としては、一年戦争みたいなでかい戦争とか社会の変化みたいな大局的なものも見えづらいし、キャラクターたちが個人としても関係性としてもわかりやすく成長・成熟していくようなラインも振り返ってもいればそれほど明確ではなく、かといってコミュニケーションの齟齬とかすれ違いの悲劇みたいなものがドラマチックに構築されてるわけでもないように感じられ、正直大枠として何が描かれていたのかと聞かれてもスッとは言葉が出てこなくてまともに答えられないような作品。
大局の部分で言えば、ジャミトフにしろバスクにしろシロッコにしろティターンズが組織としてやりたいことがなんだったのか、一口に地球圏の掌握といってもその具体的なゴールが見せづらいのもあってなかなかわかりにくかったなと思う。代わりに連中のドロドロした政治権力闘争が面白く強調して描かれてるということでもなかったし、いずれにしてもその明確な目的のなさこそがリアルなんやみたいな話なのかもしれないが、とにかくなんかよくわからない。
キャラクター描写の点から言っても、折々に特定のキャラが暴走することで話が進んでいくイメージが強いのだが、その中でもフォウやロザミアのようなキャラが迎える結末の度にカミーユはそれなりのショックを受けはするものの、シークエンスが切り替わる度にそれはリセットされてしまうというか、それが精神的な傷として蓄積していく印象は薄かったのも、ふつうの映画やドラマのセオリーからすると意外に感じた点だった。
ラストに精神崩壊したとこから振り返ってああ見えても蓄積はしてたんだよアレは、なんてことは簡単に言えてしまうけども、物語の途中ではなかなかそう見えづらい。
またそれにくわえて、話が進むにつれカミーユが序盤のような闇雲にバチギレする場面こそ減っていき、カツみたいなより若いトンパチなキャラが入ってくることで相対的に大人の振る舞いを見せるようになるものの、そのふるまいの奥で終始訴えている「大人の理屈をこねくり回して醜い行いを正当化すんなや」って核の部分はずっと変わっておらず、結局は大人になるのを拒み続けたようにも見え、結果観てる側にとってわかりやすい成長譚として処理できる話でもなくなったように思う。
そんな中で一番分かりやすい変化が起こるのはシロッコの元に寝返ってしまうレコアな訳だけど、彼女がそうするに至った経緯として中盤のジャブローで捕らえられてる間に連邦兵から性的暴行をされたことが根本的な火種になってるってのは、観終わった後で解説とかを読んでから気付かされたポイントで、それを認識してるかどうかで少なくともレコアの行動に対する印象はだいぶ変わっちゃうほどのことなのにスルーしてしまったことを後悔させられた。
描写としては「辱めを受けた」みたいな一言が物語の中で2回程度出てくるのと、ジャブローから脱出する際に生足になってるくらいのもので、だいぶあっさりしてるよなとは思う。
富野由悠季の中ではレコアがティターンズとエゥーゴにおいて女として扱われたのかどうかという話があくまでも重要なのであって、この暴行を受けた事実自体はことさら前面に出すことでもないってことだったんだろうか。でももう少しレコアの行動に感情移入するとっかかりがあってもよかったのではと思う。
まあ何を言ってもあくまでもメインはこどもが見るものなんだから、そんなパッケージで1年かけて登場人物たちがズルズル鬱になり続けていくようなものには出来ないでしょ、ましてや性的暴行の描写なんて、って言われたらそらそうやって身も蓋もない話にしかならないことではある。
例によって感想として全然まとまってないけどこの辺で。
茅場町のギャラリーでむか〜し仕事を手伝ったことのある榊原澄人さんのアニメーションとペインティングの展示が行われているので観に行った。
榊原さんの作品はアニメーションといっても、16:9のスクリーンで観る想定のものは少なくて、インスタレーションというか円環上のスクリーンとか大きめのスクリーンに投影される前提で鑑賞するものが多いのだけど、この展示ではふつうの16:9のスクリーンにこれまでの作品を流し続ける形式だったのでちょっと残念ではあったけど、『神谷通信』とか『淡い水の中』とかそれでも久しぶりに目にするものもあってとてもよかった。
自分が仕事などでこれまで関わってきた人の中でも、絵が上手すぎるあまり自分が絵なぞを描くのも愚かに感じてしまった何人かの内のひとりなんだけど、そういうことも関係なく観れる人は観て欲しい。よかったら長野の美術館でそれこそ横長のフルスペックに近い形式での上映が常設されているのでそれも観に行って欲しい。
ちなみに新作も準備中だそうです。
ゲーマーの人の間では過去作の『Machinarium』って作品が有名らしいAmanita Deaignってデベロッパーの新作が、段ボールを素材にした切り紙のアニメーションがベースになったロシア構成主義っぽいグラフィックのパズルアドベンチャーで、こんなのグラフィックだけでやるでしょって感じだったので買ってプレイ。
ストーリーとしては非常にオーセンティックな表現活動の抑圧された独裁全体主義社会の中で、音楽の喜びみたいなやつをキーにして革命を目指していくみたいな内容で、グラフィックとテーーマの合致度も当然ながら高くてめちゃくちゃ高品質だった。
正直パズルとしてはフレーバー程度と言うと言い過ぎだけど、そこまで歯ごたえのあるようなものではないものの、物語を楽しむのに退屈もしないしつっかえない程度になっていて遊びやすいとも言える。
ただ終盤になるに従って、本編のグラフィックから少し分離されたブロック崩しのようなアーケードっぽいパズルをやらされる場面が増えてくるのだけど、最後がそれの連続だったのはちょっともったいなく感じる。あくまでメインのグラフィックでやって欲しかったなというか。
まあでも眺めてるだけでもだいぶリッチな体験でよかった。
いつものレコードコンビニにて。
今回は珍しく4Nさんが来ていて、特に演者の3人と面識があるわけでもないがたぶんレコードコンビニを面白がってきたのであろう若者とか、外国人観光客の人たちにガンガン絡みにいくわ酒をおごるわと、自分からすると鬼のようなホスピタリティで一見さんを楽しませている様子に慄かされた。
あとはさいまるさんの誕生日であるとかかるい骨折トークもしたりなど。