Week25 : Not Drunk Cycling
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2026.6.15~21。
今回のワールドカップにおける現日本代表の強さを見ていると、こんなレベルだったらまあ強豪相手にだって実力で勝つこともあれば負けることもあるよな~なんて気分になってしまい、圧倒的格下だった時代よりかえって緊張感をもって見れなくなってしまったような気もする。
ここ数年携わっているレギュラー仕事の新エピソードの打ち合わせ。
打ち合わせの前に某さんに話のネタとして落車して骨折したことを伝えたら、呆れたような雰囲気込みで心配とされた同時に「お前もやったのか」的な反応で、そういえば某さんも断酒する前に自転車の飲酒運転で転倒して手を骨折してたのを思い出したのだった。しかも骨折した箇所も似ているので、骨を固定するピンの話とか全身麻酔の話とか思わぬ共通の話題で軽く盛り上がったりして、これまで話した人と違う反応だったのが面白かった。
これは後になって気が付いたことなんだけど、この時自分の場合は素面だったとか落車自体の詳細には話さなかったのにも関わらず反応の中に微妙に呆れっぽいニュアンスが含まれてたのには、もしや飲酒運転だと思われていたからなのでは……という気がしている。どうなんでしょうか。いずれにしても自分は酒飲んで転倒したわけないです。
2Dのキャラクターアニメーションの仕事でAEの中で Duik (プラグイン)を使ってリグを組んで動かすことも多いのだが、Duikでやるには結構仕込みが煩雑になりがちだし、いい加減リギングに特化した他のアプリケーションに手を出してもよいのではということで比較的安価で情報もそれなりにある Moho のチュートリアルを触ってみていた。
一通り機能を触ってみた印象だと、おおむねやりたいことは全部できるしよさそう…なのだけどあわよくば使おうかなと思っていた年数本のレギュラー仕事(上のやつ)で使うことについてよくよく考えてみると、カットごと、もしくはカット内のキャラクターごとに書き出して都度AEに読み込ませるか、まるごと Moho 内で完結させるしかないということにやや引っ掛かってしまい購入するにはまだ至ってない。
カットごとで導入する場合は修正があった時に書き出し直すめんどくささだったり、中間ファイルが増えて作業データが膨らむのがちょっと嫌というのがまずある。また全部 Moho でやるとしても最終的な編集は Premiere なり Davinci Resolve なり他の編集ソフトが必要な訳で、どのみち各カットをレンダリングする必要がある。更に言えば既に何年もやってる長期シリーズのワークフローをここで一気に変えるとなると、これまでに作ってきた過去の作業の流用とかは出来なくなるし、少人数とは言え一応グループでの作業なので、万が一他のスタッフだったり監督が直接修正するとなった時に編集データを渡せなくなるリスクが出てきてしまうんだよな。とかいろいろ。
たぶんカットごと Moho で組んだものを書き出して Davinci Resolve で全体の編集まとめるようにしてしまえば夢の 脱Adobe が出来ていいんだろうけども、結局 Photoshop なんて素材レベルの編集では使うだろうし、AEを使わずに出来なくはないにしても、使わないで進めることが目的化しちゃって作業の効率は低下しかねないんだよな、みたいなことも考えてしまって二の足を踏んでいる感じ。
まあ仕込みと動きのつけやすさだけを理由に導入しちゃっても全然いいのかも知れないし、実際使ってみたら徐々に AEいらないやんけ となるかもしれないのだが。
ついでに同じ分野の話で言うと Photoshop でアニメーションを作画する時に利用していたプラグイン(オニオンスキンとか簡単に出来るようにするようなの)が Mac だと Rosetta で起動しないと動かなくなってる状態なのがそろそろ微妙な時期なので Apple Silicon ネイティブ環境で動くようにしてくれというの今Claudeで進めているところなので、それはまたいつか書く。
猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』を元にしたNHKドラマの映画版がもうすぐ公開ということで、この映画か原作についてのレビューとかを眺めていたら、牧野邦明の『経済学者たちの日米開戦』という2018年に出た総力戦研究所について、ではなく同様に開戦前に陸軍が経済学者らを集めて主に経済の面から日米の格差を指摘していた秋丸機関についての本に行きついた。
実を言うと『昭和16年~』は読んでいないし、NHKで放映されていたドラマの方も未見ではあるのだけど、そこで描かれているであろう「総力戦研究所という若いエリートの出した大戦にまつわるシミュレーションの報告をとにかく戦争したい愚かな政府だか軍部だかが無視して無謀な戦争を引き起こした」みたいな物語は、既に常識的な歴史観としてなんとなく理解しているものでもあるので、それに対するカウンターではないけど、もう少し違う分析があるんなら知りたいなと思い読んでみたところめっちゃ面白かった。
違う分析と言っても別に上層部の戦争責任を矮小化したいわけではないし、本の内容もそういうものではなかったというのは一応書いておく。
たとえば、長期戦になれば負け確なのは軍の上層部も含めある程度の共通理解としてあったのだが、開戦せずに国家として100%目に見えているジリ貧を受け入れるか、戦争して万に一つでも有利な講和に持ち込める可能性があるならそっちのリスクをとりたいと思ってしまう心理が強く働いたのではないか…というプロスペクト理論を元にした分析。
それに加えて、戦前の日本政治というと大政翼賛会や挙国一致体制みたいなキーワードや雰囲気によって強烈なファシズム国家を想像させられるのに対して、実際にはそれを目指した新体制運動は失敗に終わっていて、形だけ全体主義っぽいのにそれを束ねる強烈な単独権力が存在しなかったために、個人が決断するより集団の方が極論に走りやすい傾向にある集団意思決定の状態にあったという事実が重なって、社会心理学的に見れば必然的に近い形でリスクを冒す方向に走りやすい政治状態にあったのではないかという話だったり。こういう話は丸山眞男の本とか読んでいれば、もしかするととっくに常識的な内容なのかもだけど、不勉強な自分にとっては初耳というか初めてちゃんと構造を知った話だった。
更に言えばそういった指導者たちもそれで即開戦というほどガバガバだったわけでもないのにも関わらず、より過激に対米強硬論で盛り上がっていた新聞や世論を押し返すほどのリーダーシップや責任を取れる人間がいなかったせいで開戦に雪崩れ込んでしまった…みたいな辺りは、一番リアリティというか現在との重なりを感じてしまって恐ろしいというかなんというか嫌な気分になる反面、とにかくあん時の上層部がバカでしたみたいな悪魔化と単純化をして市民の側に責任がなかったみたいに捉えてしまうより、今の時代を生きる人間にとっては反省と学びがあるように思う。
河西晃祐氏の言葉を借りれば、「もし現在のわれわれが太平洋戦争開戦に至る歴史から何かを学びえるとすれば、それは日本の国力を過信していた訳でも、アメリカの国力を過少評価していた訳でもなかったアクターらによって戦争が選択されたという事実である。正しい情報と判断力があれば戦争が回避できるわけではない怖さを、この時のアクターらの行動は示している。」
――牧野邦明 『経済学者たちの日米開戦 : 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』 新潮新書 2018年 170p 河西晃祐 『大東亜共栄圏―帝国日本の南方体験』 講談社選書メチエ 2016年 98-99p
他にも総力戦研究所は官僚の育成機関的な側面が強くて、そこでどんな結論が出されようとも指導部がその意見を参考にして政策に反映させるような組織と捉えられていなかったのでは、みたいな話も腑に落ちるところだった。
上の引用で孫引きしている河西晃祐の本も読んでみたいし、『昭和16年 夏の敗戦』も読んで映画も見ないとなとは思っている。
なんだかんだで勝ってくれるんじゃないのと思っていたし、KOに至るパンチが当たるまでは堀口が優勢に進めてコントロールしていた試合だと思っていたのに負けてしまって残念。動きが何となく硬いながらも、試合のコントロールでは上回ってたのに一発貰ってしまって崩れたという点では堀口自身のペティス戦なんかを思い出すし、その直前に軽くケイプをグラつかせるパンチを当てた事で、向こうが有利そうなショートレンジでの打ち合いに色気を出してしまったという見方では、今年の4月にRIZINでやった福田 vs. テミロフの決着なんかも過ってしまう内容だった。
堀口としては残念だけど、これで次のフライ級のタイトルマッチはケイプとヴァンになりそうだし、それはわりと楽しみだったりする。先にパントージャが復帰してヴァンとのリマッチをする線もありそうだけど、ケイプとヴァンが見たい。
あとどうでもいいことなんけど、日本人のMMA選手ってUFCでチャンピオンを目指すにあたって、いちいち「日本人最初のUFC王座を~」みたいな表現をし過ぎだと思う。
そもそも鞘師って変に声張って歌い上げるような曲よりこういう発声の方がずっと合ってるんだなってのにようやく気が付いた。ハロメンがグループ卒業後にM-lineでソロ活動をするしても、結局ハロプロ楽曲と大差ないような曲というかハロプロ楽曲の中でも置きに行ってるような曲ばっかり出すことに対して自分は特にいいと思ってない方(だったらグループ残っててもいいんじゃねと思っちゃう)なので、鞘師が事務所移っていろいろ探ってる感じはいいと思う。